労組周辺動向 No.54 2019年2月8日現在
労働組合に関係がある法律をめぐる動きや裁判での判決、闘い、国内外の統計や情報など、現在と今後の今後の組合活動にとって直接・間接に必要、有益と思われる情報を掲載します。
基本的に隔週発行です。
今号の内容は:
ゼネラルユニオン、学校法人椙山女学園を大阪府労働委員会に提訴
法違反を重ね続けてきた学校法人椙山女学園が交渉による自主解決の最後の機会にあることは本ページの記事で報告されていた。
その後同法人はゼネラルユニオンの団体交渉の要求に対して「学園の理事会決定が変わることはないので団体交渉を開催しても無意味」として、交渉そのものを行なうことを否定する通知をゼネラルユニオンに送付した。
ゼネラルユニオンは、「同法人には自主交渉による問題解決の意思なし」と判断し、この1年以内に行なわれた同法人による一連の不当労働行為に対する救済申立書を直ちに大阪府労働委員会に提出した。
2018年度対政府交渉報告
2018年11月5日、全労協全国一般労働組合全国協議会教育関係労働組合グループは、全国一般中央の指導と阿部知子衆議院議員事務所の協力のもと、衆議院議員会館において文部科学省及び厚生労働省との間で交渉を行なった。
我々が当面している主要ないくつかの課題を正しく解決していくための要求を提出し、所轄官庁の見解を質し、討論を通じて解決に資するものを見出し、併せて以後の有用な情報交換の具体的ルートを各関係部署との間に確保することがこの交渉の目的であった。
大きな岐路に立つ学校法人椙山女学園―解決か、それとも……
改正労働契約法に基づく有期雇用契約労働者の無期契約への転換権を認める労働契約法第18条が2018年4月1日に施行された。この施行を前にして、2017年から名古屋にある学校法人椙山女学園では、法人側が非常勤講師達に対して退職願の提出強要などの露骨な無期転換回避工作を進めた。これに対してゼネラルユニオンの支部は反撃を加えこの脱法工作は頓挫することとなった。
だが法人側はゼネラルユニオン組合員への報復に出て、2018年4月1日をもって無期契約への転換権を持つことになる組合員全員の契約更新を拒否した。「厄介払い」である。
2018年、ECCとベルリッツで組合は大きな勝利を実現! 2019年もまた!
今年ECCとベルリッツの二つの会社では、いつも以上に長い時間を費したものの、ゼネラルユニオンはいずれでも交渉を通じて大きな成果を実現することができた。
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ECCとの交渉は、以下の4つの要求を中心に進められた。
1. 全組合員への一律賃上げ
2. 慶弔特別有給休暇
3. 新規採用講師を対象とする会社主催のオリエンテーションの場での組合紹介の権利回復
4. ゼネラルユニオンECC支部組合事務所家賃への会社の補助の回復
何をそんなに隠したいのだろうか―財務諸表の閲覧を頑なに拒む学校法人文際学園・大阪外語専門学校
我々は2018年2月の記事で、この大阪外語専門学校が「お金がない、と言いながら無駄な裁判にお金を注ぎ込んでいる」不可解な行動について報告した(当該記事参照)。
その後事態は進んだ。大阪外語専門学校は「組合に謝罪し財務諸表を組合に閲覧させること」を命じた大阪府労働委員会の不当労働行為救済命令に対し、この取り消しを求める裁判を大阪地方裁判所で起こしたのだが、敗訴した。
ところが、この敗訴を受け容れず大阪高等裁判所へ控訴したのだ。
もともと事実が単純明快な事件であったので裁判は長い時間を要せず、大阪高等裁判所も一審判決に沿って大阪府労働委員会の不当労働行為救済命令の有効性を確認する判決を下した。
お知らせ
コーナー「継往開来・GU30年史」が拡大され、粗削りですが最近までをカバーしました。
ゼネラルユニオン日本語ホームページトップ (http://www.generalunion.org/jp/) 左側の「継往開来・GU30年史」から目次にお入りください。
ゼネラルユニオンがマリスト国際学校の不当労働行為を大阪府労働委員会に訴え
2018年10月9日、ゼネラルユニオンはマリスト国際学校による労働組合法第7条違反行為を大阪府労働委員会に申し立てた。
同校が産休明けに仕事に復帰した教師との契約更新を合理的理由なしに拒否したことから、ゼネラルユニオンはこの申し立てに至る数か月に渡って、この件に関する団体交渉を同校に求めてきたが同校はこれを受け入れなかった。
この教師との契約更新が無期雇用契約への転換へと至ることを同校は嫌い、合理的な理由なしに契約を終了させのだとゼネラルユニオンは見ている。同校が「仕事上の問題」として挙げている点について、この教師はこれまで一度も警告などを受けたことさえないのである。
コーナー「継往開来」(けいおうかいらい)の開設について
ゼネラルユニオンは1991年に創立された。
山原克二現執行委員はその中心メンバーであり、数年前まで長く委員長の責にあった。
1990年代に入って、当時の「日本労働組合総評議会」(総評)傘下の組合をはじめ日本の労働組合の多数が「日本労働組合総連合」(連合)へと収斂されてゆく中で、長く総評の中で組合活動に携わってきた同氏はこの流れと袂を分かって、新しい、まともな労働組合の模索を続け、その努力はゼネラルユニオンの創立に結実した。