堺・泉州民衆の歴史。古墳―大和川―シルクロード

シルクロードと言えば「中央アジア」などと考えるのはNHKの見過ぎ。当たり前の話だが、朝鮮半島や三十八度線を縦断し、海路を経て、終点の飛鳥に至る。すなわち、堺は陸路の玄関であり、奈良盆地に至る。日本最古の国道1号線で有名な「竹の内街道」が、実はシルクロードである。幅数メートルの曲がりくねった道だが、ここを遣唐使や遺新羅使が通り、アジアの人々が行き交った、と考えるだけでもワクワクしませんか? 6~七7紀を中心に、国際交流の輝く歴史を持つ堺では須恵器を焼く渡来人集団も多く住んでいた。だが、この登り窯が密集した泉北丘陵は、日本最大級の「泉北ニュータウン」となり、遺跡も数多く破壊し尽くされた。

 

堺市の百舌鳥(もず)古墳群は、前方後円墳が世界一密集している。この型の古墳の原型が朝鮮半島か日本か、両国でホットな論争中である。「立入禁止・宮内庁」と書かれ、3重の堀に囲まれた世界最大の面積誇るこの古墳の内部は、手付かずの森となり野鳥の天国である。「天皇の墓で不可侵」として、誰の墓か?知られると困るのである。今から千数百年前に続々できた古墳の被葬者である権力者は、朝鮮半島から来た渡来人たちが多い。「偉大な外国人たちが日本を支配」など、を認めれば、皇国史観がすたる。排外主義と征鯨論が高まった江戸末期と明治時代に、「これらの古墳は天皇の陵墓とする」とし、手当たり次第、デタラメに命名した。そのため、神武など実在しない者まで墓の主となった。その他、200歳まで生きた天皇もあることになる。

 

最近では、教科書も歴史学者も「仁徳天皇陵」と呼ばす、堺の地名で「大仙古墳」と呼び、宮内庁に対し、調査のための立入りを要求している。異議ナシ。
私【山原】は、路面電車存廃公聴会で「古墳を世界遺産に」と、木原市長に提言したが、虚偽の歴史を申請しろとは言っていない。

堺は「環濠の自由都市」で有名である。町衆の合議制によるそれなりの自治もあったとかで、さしずめ、中世のコンミューンかもしれない。長崎の出島は、「鎖国?」日本の例外として、その国際交流が評価されている。もっともそれなら、対馬藩と朝鮮や、琉球とアジアとの交易や、江差藩とアイヌの交易が、公式かつ大規模にあったことや、堺の自治都市を、もっと学校で教える必要がある。
織田信長・豊臣秀吉、この独裁者たちは繰り返し、堺や大阪の町衆をオドシ、聞き入れないと、再三焼きうちまでした。そして、屈伏の証拠に堀を埋めさせた(同じことを、豊臣が徳川家康から強制されたのは皮肉な歴史である)。

石山本願寺の平和的な寺内町であった大阪を破壊し、「一心一向」を叫ぶ民衆を大量殺戮したのも織田であった。特に泉州・和歌山では、雑賀衆(さいがしゅう)・根来衆(ねごろしゅう)といった鉄砲衆の抵抗が、長く続いた。
このパルチザンは、豊臣の朝鮮侵略時、寝返って、朝鮮民衆に鉄砲を伝え、日本軍の敗北に貢献し、現在でも末裔である沙也加=サヤカ姓が健在で、韓国で英雄となっている(朝鮮通信使の研究で有名な在日の堺市民で映像作家の故・辛基秀がこの史実を発掘紹介)。

京都・琵琶湖から来る淀川と、奈良から来る大和川は、大阪天満橋の中之島付近で合流しており、再三の洪水に見舞われたという。そこで、大和川を奈良県境から真っ直ぐ大阪湾に流れるよう「付け替え」が行われた。「江戸末期、中甚兵衛という偉大な人物がこの事業を指揮、洪水は減少した。だが一方、新しい川が流す土砂で堺港が埋まり、堺の繁栄が終わった」と、大阪の学校で使う副読本には記述されている。

しかし、被害はそれにとどまらない。強制執行で田畑や家を奪われた人、難工事に駆り立てられた人、そうした恨みは今も消えない。矢田・浅香・松原などの地域では、被差別部落の歴史とこのエ事が不可分であり、部落解放同盟では、「大和川を民衆に取り返そう」との地域総合計画を進めている。一方、干上がった川筋跡の東大阪・大東・寝屋川地域では、肥沃な農地が出現し、工事に債券投資した富豪が大儲けし、ここで鴻池などの財閥が形成された。

開発優先の「高度成長」期大阪府は、取り返せない愚行で、堺・泉北の海を人工的に埋め立て、臨海コンビナートを作った。それまで白砂青松の美しい海水浴場であった大浜・浜寺は、コンクリートだらけのドス黒い海岸に変貌した。四国や九州から集団就職の若者が、新日鐡などの大工場で汗を流したが、こうした時期は永くは続かなかった。オイルショック以降、溶鉱炉は次々消え、大量の失業者を生んだ。現在の臨海工業地帯は空き地が目立ち、結果、バードウォッチングと魚釣りのメッカとなっている。新関西空港がらみの「りんくうタウン」という鳴り物入りの大プロジェクトも、企業が進出せず、既にゴーストタウンの趣である。

このように、堺や泉州は歴史上「大阪の影」になり続けている。破壊された自然と環境は、もう戻っては来ない。さらに、開発や戦乱の度に民衆が犠牲となるのは、これっ限りにしよう。再三の汚職に怒りを燃やし「倫理条例・情報公開条例」を日本で最初に作ったのは堺の草の根市民運動であり、今それが、全国展開している。
朝鮮侵略に抗議して切腹させられた千利久や、「山が動く」と予言した与謝野晶子のようなカツコ良い堺市民にはなれないが、天皇危篤時で歌舞音曲の自粛が強要されていた時期にも、ダンジリ祭を中止しなかった意地もある。 「泉州の民衆は闘うでェ!」