再訪レポート「その後の馬山加工区」25年ぶり再訪

1985年からの韓国馬山「輸出自由地域」をめぐる全金東大阪の地域―争議、1990年からの韓国3労組の日本遠征争議以降、国境を越えた来日国際争議が連続した。アメリカのブリジストーン・ファイアストーン、LAのホテルニューオータニ、NYのオイスターバー、フィリピントヨタ、韓国シチズン、韓国オムロンの各労組などであり、それぞれ、日本本社に攻め上り、多国籍争議で多くの成果を得た。ゼネラルユニオンも、当該の関西での出撃拠点として出会いを重ねてきた。

そして04年3月末、勝利解決をみた韓国シチズン労組の招待により、山原委員長が、韓国現地報告集会・日韓共同シンポに参加することができた。日本本社との団交・弾圧対策・日本遠征の位置づけ等、たいへん熱心な討論が交わされた。厳しい状況にあった時「スミダやスワニーのように日本へ行って闘おう」が、当該に合言葉になっていた。だが渡日だけでは争議は解決しない。馬山での共同総括は、今後さらに続くであろう多国籍争議の指針になりうるものだった。

東大阪争議の5年後で、戒厳令下で訪問も困難であったの交流も危険であった1984年、私【山原】は「馬山輸出自由地域」ゲートの武装兵士の銃剣にたじろぎながら、中へ中へと潜入していった。各進出企業の絵図面と、操業・撤退の状況が知りたかったからだ。というのは、私がオルグをしていた総評全国金属傘下の各社が、日韓両政府や商社・ジェトロなどの「馬山ではスト禁止・賃金は日本の10分の1」という口車に乗せられ、集団で工場進出していたからである。だがその時既に、特恵待遇も終わり、撤退や賃金未払問題も出始めていた。労組はなくとも、自然発生的ストは多発していた。日本での争議のためにも、韓国労働者の状況を含めた現地情報が不可欠であり、三井物産や日商岩井など背景資本との闘いに大いに役立ったのである。

「租界」と呼ばれた馬山でも、87年の釜山馬山民衆決起で「外国人投資企業特例法」が廃止、労組が合法となり、90年の3争議団来日となった。今回のシンポでは、元スミダ副委員長の朴性姫【パク・ソンヒ】さんと14年ぶりに再会でき喜び合った。彼女は現在、全国女性労組慶南支部事務局長で大活躍している。今回、輸出自由地域内で民主労組に加盟している「産研=サンケン、本社埼玉」と「ウエスト電気、本社=大阪」の職場を訪問した。ウエスト電気は93年、撤退や閉鎖の脅迫に屈せず、私たちの松下電気本社抗議も加勢し勝利した労組である。両労組とも「今は問題はない」と笑っておられた【が、後年、産研日本遠征争議となり、関東での共闘となった】。居合わせた民主労総もタンビョンホ民主労総委員長も「日本での争議支援に感謝します」と挨拶された。

今回の私は、95年当時のスパイのように危険を犯さなくとも、堂々と韓国政府労働庁の「輸出自由地域管理院」を訪問できた。所長に「投資先をお探しですか」と聞かれ、「いいえ、調査・研究です」と答えたのだが、日本本社の無責任さや、「手の打ちようのない中国移転」の話題で意気投合し、貴重な資料をたくさん得る結果となった。滞在中、サンヨーやSONYの電子・電気・精密が中心の工業地帯内各社をくまなくチェックした。空家はところどころに目立ち、生産ラインは次々にアジアに移転し、減量リストラが進行していた。最盛時87年に3万6千人いた労働者が、03年には1万1千人に激減している。この一両年に10社が山東省など中国に移転し、その半数が日系だそうだ(暴虐な日本と韓国の企業への中国労働者の争議も多発しているという)。
現在、全77社の内、40社が日系。遅れて参入が認められた韓国資本は28社である。NOKⅠAのような新規操業もあったが、労組は27社しかなく、それも韓国労総が中心であった。私にとって「ここが、スミダやシチズンの跡、東大阪市大鵬産業の後、その後の、馬山鋼管も閉鎖」という説明は走馬灯のようでつらかった。

「韓国労働法見直しを」と、干渉する日本側にさえ、韓国側は日韓投資協定で投資を促している。日本どころか、韓国資本もナダレをうって中国に移転している現況にブレーキをかけるのは難しい。反WTOや投資協定反対闘争では、日韓相互間のみならず、両国のアジア進出に対するグローバルな規制が必要であろう。現在の馬山輸出自由地域の平均月収は約20万円(馬山市18万円・慶南道13万円)との説明をうけたが、それでも中国の何倍になるのか…。アジアの「同一価値労働同一賃金」を実現しないと、こうした問題は解決しない。「低賃金と労組禁止」地域を求めてさまよう「渡り鳥企業」は、争議困難な中国が「資本家のパラダイス」だとして、そこに集結している。

シンポで「中国のへ無責任な逃亡をどう止めるか?」と問われ、私は、「改革開放は、何億というプロレタリアートを生み出している。中国は労組禁止でも、スト件数は世界1だ。韓国の歩んできた道と同じだ。中国の民主労組結成を」と、ついパネルから叫んでしまった。
昔、ある会社の社長は団交で、「低賃金でも勤勉に働く韓国労働者を恨め」と言い放ったし、中国のスワニーやシチズンは、自分たちの雇用を奪ったかもしれない。だが国際争議は「誰が共通の敵か」を教えてくれた。スワニーの楊委員長は解決調印の時、「今度、中国から撤退したら許さない」などと社長に宣言した。
こうした国際連帯の経験から、東大阪以来の我々のスローガンも「浸出反対から無責任撤退反対」に様変わりした。
全力をあげて悪質多国籍資本を追っかけ、どこの国であれ閉鎖や解雇の報に接したら、直ちに東京やソウルの本社に押しかけよう。会社側は今まで「権利主張するなら撤退し日本に帰るぞ」と、労組にオドシをかけてきたが、最近では「それなら日本本社に行って闘うぞ」と、会社に迫ることもできるようになった。

私たちは、日系多国籍企業の監視を怠ってきた。それゆえ、日本資本が突然、全員解雇を宣言して、日本や外国に逃亡する例が後を絶たず、外国労組の日本遠征闘争を余儀なくさせてきた。だが、労組員や家族を残したまま、警察や入管の弾圧にさらされながら苦闘するのは不本意であろうし、日本に「争議団が来てから連帯が始まる」というのは遅きに失する。平素からの情報交換や、共同の作戦会議やSNSやホームページなど、現代ではすべて可能である。
「日本にもこれらを全力で受けとめ連帯するまともな労組と国際連帯があるんだ」と、アジアの労働者に届くよう、宣言しようではありませんか。