多国籍企業と韓国3労組の来日争議の意味するもの

日本がエコノミックアニマルと言われ久しいが、日本資本の悪名はアジアの隅々まで際限なく広がってきている。あまり聞き慣れない世界のどんな小さな国にでも、必ず日本商社が存在し、「伊藤忠・トヨタ・パナソニック」が反乱している。その国の人々が日本人に出会うのは、商社マンや進出企業の管理職であり、何でも円の札束で買ってしまう「金満日本」のイメージが定着してきている。
ある大学で「アジアの中の日本の役割」と質問したら、「帝国主義」「新植民地主義」の言葉に馴染んでいない学生たちが、熱帯雨林や割箸の話などをスラスラと答えるそうだ。ちょっと昔に、アジアを訪問した人達が、必死になって語ったアジアの実態と日本資本の罪状、それらは今、運動体の共通の認識であるだけでなく、マスコミ報道などを通して常識となっている。問題はそれを黙認してはならないということではないだろう。伝えること・知ることから始まった国際連帯は、今「その構造をどう変革するか」を示し、そのためのアクションを起こさないと何にもならない時期にきている。

日系進出企業はさらにアジアのあらゆる所に切り込み、地域社会をズタズタにしている。現地政府は国土を売渡して低賃金地帯を作り、日本企業はそれを求めて国境を越える。日本政府・財界はそれを規制するどころか、逆に安易な進出をあおり、トラブルの責任をとろうとはしない。資本の「ボーダレス」に対抗する、民衆の監視と規制が今、必要だ。

日本からの洪水輸出は、自動車や電機だけではない、進出企業を通じて、公害・労災やQCなどの日本型労務管理まで輸出してきている。過労死や朝礼やラジオ体操・制服・査定考課・サービス残業など、われわれが当たり前としていることに、アジアの人々は「人間のすることではない。まるで軍隊みたい。御用労組ばかりか」と反発している。ハンスト中の韓国TND労組・スミダ電機・スワニーや新白砂電機・ミツミ電機などが、韓国・台湾・フィリピンなどへ進出し、大儲けをしてきた「輸出自由地域」とは、資本家の自由地域であり、「アジアの中の日本」でもある。

「高度成長」を謳歌していた70年代にほとんどの進出企業が海外に基盤をつくり、そのホコ先の中心は、アジアの輸出自由地域であった。それは輸出加工区【free export process zone】とよばれ、特恵関税だけでなく、治外法権的な法制(労組結成や争議の制限)もまかり通る「現代の租界」ともいうべき地域である。もちろん、外資や進出企業は、どんな国の、どんな地方にまで魔手を伸ばしているが、輸出自由地域は、売国的な国策として外資と自国労働者を引き合わせ、「輸出自由」どころか、3K労働(危険。汚い.きつい)強要ばかりでなく、解雇や労組つぶしまで、まるで「資本家の自由」を、政府と行政が承認又は黙認してきた象徴であった。

日韓条約の内実でもあるこれらの流れに、日本の政治運動も労組も無自覚であった。当時の朴政権と三井物産・三菱商事などの利権をかけた、輸出自由地域造成のプロジェクトや、日本政府側が「そこでの労働争議を厳禁する措置」を申入れてきたことも、容認できない経過であった。商社や銀行・鉄鋼独占は、「低賃金でよく働く、労組もない」と宣伝し、野心的資本の進出をあおった。日本の労組は「高度成長下の大幅賃上げに酔っており、進出に賛成か、無関心であった。74-78年の全金東大阪の韓国進出との闘いが、貴重な問題提起であった。こうして進出に対処しきれなかった我々は、10-15年後の今、「撤退反対」で連帯している矛盾を痛苦に振り返らざるを得ない。怒れる各国の民衆が続々と来日し始めている。が、日本本社と商社は、不誠実な交渉拒否をくりかえしている。

責任をとるべき日本政府も知らぬ顔をしている。日本の大半の労働組合も同様であり、時として自らの勤務する会社が糾弾されれば、企業防衛にだって走り、アジア民衆に対する排除ピケだってはりかねない。アジアの民衆と本社前でスクラムを組んで、共に体を張れる日本の運動づくりが求められている。

 かくして韓国3労組が争議団として日本に降り立った。外国の労組がこうした形で揃って来日したのは、もちろん初めてであった。国際交流や報告のためにきたのではなく、目的は、敵である日本本社と闘い、勝利するためであった。現地での出陣式から出征してきたと言う代表団の大半が20歳前後の若い女性であったことや、現地の仲間の期待をになってがんばった3労組の元気な闘いぶりが、日本全国から熱く注目された。「アジアと共に生き、共に闘う」を実践するのは至難のわざであり、そして試行錯誤も少なくなかったが、はるかに力埜を越える連帯行動に格闘した支援戦線の側の教訓も大きいものがある。

しかし、これを単なる国際連帯の1ページとしてだけに収めるわけにはいかない。突然の来日といった偶然の出会いは、歴史的必然そのものでもある。それゆえ、彼女らの来日全体の目的と位置をしっかり受け止めることが大切ではなかろうか。もちろん争議であるから、ファクシミリに象徴される不当解雇の撤回、操業再開、生存権対策など、現地で決めた要求書の内容に、どう資本を追い込み、当該労組主導で獲得―解決できたかが大切である。だが労組や韓国民主労組が「どういう思いを持って来日を決断したか」ということ、すなわち来日闘争全体の目的と意義は、もっと広範囲であった。

日本資本の韓国労働者への真禦な謝罪、進出企業問題全体についての日本政府の態度と日本世論へのアプローチ、日韓労働者連帯の構築などであろう。それら全体にわたる前進は数えきれないが、かなり膨大かつ未完な問題提起と言わざるを得ない。こんな形での解雇は日本国内で許されるだろうか、いや、そこに進出先では何をしてもよいという民族差別があり、労働組合敵視も見受けられる。のため、争議団は労働者の尊厳をかけて闘いを開始し、労働者蔑視への謝罪と、生存権確保を求めることとなった。

そして各労組や現地労働者の様々な気持ちも集約しつつ、今年1月結成の韓国全労協や、昨年11月結成の「外労共闘委」(外国資本不当撤収・集団解雇および労組弾圧粉砕共同闘争委員会)も、今回の解雇と来日に相前後して結成された。外労共闘委は日本を射程に入れた韓国全土の争議団共闘であり、そこまで、韓国労働運動は組織され、またそこまで日本本社総体がターゲットになっている現実がある。それほど今回の撤退がらみの集団解雇の連続は緊急であり、大問題であった。しかし、闘いの真っ最中での素晴らしい陣型づくりでもあった。帰国後現在も、他の進出企業労働者のおかれている状況を考えると、これら緊張関係は厳しく続いているといえる。来日の成果について興味深い事例を紹介しよう。争議が相前後して解決し、三労組や、韓国全労協も「勝利宣言」をした。韓国の各現地でも、それぞれの代表団、そして日本の支援戦線が熱烈歓迎され、「画期的な韓日労働者連帯」との高い評価を受けている。ハギョレ新聞など韓国のマスコミでも、「日本の良心的労働者が支援と世論づくりでがんばった」と、おそらく史上初めての好意的報道を繰り返した。
一方、日本出発前の労組員の不安の内容を聞いてみると、「日本には鬼しか住んでいない。皆んな冷たい人ばかりで支援なんかあるハズがない」「日本の労組は皆んな『連合』という御用組合で、連帯は困難だ」といったものであったらしい。それゆえ、代表団は、支援がなく孤立してでも、自分たちで泊まる所を捜して闘うといった悲壮な決意で、短期VISAで来日したという。馬山や裡里からの手紙は、「こんなに支援があるとは想像もしなかった」との感謝が書き綴られている。当該労組が「勝利だ。支援に感謝する」と言ってくれていることにホッとするわけだが、われわれも三労組と同じ調子で「勝利した」とは言いがたい。「まさか日本でこれほど支援があるとは……」と思われていたようであり、そうした従来の、うすら寒い状熊からみると、国際連帯が想像をはるかに越えて前進したと押えておこう。
日本の支援戦線はとにかく予想以上に拡がった。どこかの政党やナショナルセンターの御墨付があったわけでもないのに、来日以来、ほとんど口コミに近い形でありながら、かつ横断的に結集していった。普通の労組・地区労・在日民族団体・女性団体・宗教人、そしてあらゆる市民運動団体、そして個人といった形であり、画期的なことであった。反面、それぞれの熱意も多様であり、方針や目的が完全に一致していることが前提でもなかった。それゆえ、当該労組の思いを受けとめ、悪どい経営者をやっつける、ということで広範な支援の足並みとした。

必ずしも確固とした支援の前提があって始まったのではないが、大切な認識のポイントは、彼女らが日本に来たのは、いくつかの不本意な結果が生んだものであるということである。まず、われわれ日本サイドは、まったくと言っていいほど、当時の日系企業の進出そのものや、これまでの悪質な操業と管理を規制してこなかった。それどころか、今回の解雇についても、事前には十分チェックできず阻止できなかった。さらに、本来なら、社長と責任者が韓国現地で団交を開催し、謝罪するのが原則であるハズである。これらの歴史的な日本側の責任は大きく、そのツケが多援のアプローチに基づいて、連帯の総括も何通りもあってしかるべきであろう。数ある成果と問題点はそれぞれがしっかり把握し、今後の連帯の機会に持ち寄りたいものだ。

多くの労組員や家族を現地に置いたままで、警察や入管の弾圧にさらされながら、異国の地での3争議団の苦闘になってしまったということを、肝に銘じる必要がある。すなわち、目の前に争議団が来て始まる連帯というのは、取り返しのつかない遅れである。矛身を一身に背負った彼女らの奮闘で、資本に鉄槌を加えることができたとはいえ、もっと以前から継続的に監視し、情報交換や交流ができていればと、我々の過去を振り返らざるを得ない。

現に進出している企業の義務は、「その国の社会で多くの労働者を雇い、家族ともども生活を保護することを含め、雇用と生活確保がますます重大となってきている」責任であろう。だが、企業は特恵税制の終了・インフレと元(ウォン)高・物価上昇、労組結成と賃上げなどを嫌い、「撤退」という名の企業閉鎖―全員解雇を、法律や労働協約これらの遅れを挽回し、進出企業問題全体について、今後継続的に取組むことができれば、今回の来日闘争の成果や総括が、より鮮明となるのではないだろうか。

また、三労組は「氷山の一角」であるとよく言われる。我々は新植民地主義的な進出に反対するが、すでに進出している日系企業が、こうした手前勝手な理由で無責任に撤退することも決して容認してはならない。「進出と撤退」は、国ごとに各社ごとに時差をもちながら、同時進行している。NIESからの撤退と東南アジアへの進出が現在主流であるが、それを資本主義の法則のみに委ねてはならない。こうした立体的状況に即したアジア全体の監視体制をスタートさせよう。

外労闘委結成以降も、日系だけではない各国の9争議団が参加している。その一つの米資本企業「韓国ピコ」は、89年2月に300人を解雇のうえ撤退したが、90年4月に労組代表団が渡米し、いまだ正式の団交も開かれてない中で、7月にはニューヨークでハンストにも突入し頑張っている。そればかりではない。馬山だけ見ても韓国東京電子・韓国シチズン・韓国東京電波などの労働者に、日本への撤退のオドシが続き、「徹底しないかわりに」と大量の首切りや、民主労組の御用労組への変質策動があとをたたない。それら攻防中の労組すべて来日するものではなく、また、今回の争議で撤退の流れにブレーキをかけることができたかもしれないが、ストップしたとも言えない流動的な状況に突入している。

スミダ電気やスワニー社が、ファックス一枚で日本から解雇してきた時、韓国労働者は激怒したが、馬山の各経営者はそれを最大限利用し、当初、労働者側も「こんな簡単に撤退が?」と激しく動揺し、合理化と労組弱体化が進行したそうである。しかし、争議団が鑓城を開始し、日本大使館・輸出自由地域事務所・銀行などへの抗議を開始し、ついに日本で本社を追い詰めるにいたって状況は一変した。すなわち、これまで「日本へ帰る」というのは、経営者の労働者への撤退=企業閉鎖の脅迫そのものであった。しかし、今は違う。「日本へ行くぞ」という言葉は、国そしてアジアの悪質日系企業を震え上がらせるに十分な、したたかな労働者の叫びとなってきている。それぐらいスミダ電気・スワニー・タナシン電気の経営者は断罪され、社会的な制裁をうけた。少なくとも今後、こうした日系企業による不法不当な一方的撤退の強行は相当困難になったことは確かである。
よく似た状況が各国に存在するため、今回の3労組の闘いと日韓国際連帯が、アジア各地へも大きく波及していっている。今、それは各国での日系資本と、現地労組との新たな段階での攻防となっている。台湾の例にあるように、資本家たちも、今回の争議を教訓化して、一旦地元の民族資本に売却したり、工場閉鎖手続きを「繊密かつ合法的?」にやったり、労組への懐柔策を強化したりしてくることも考えられる。

今年3月のスワニー争議の解決調印式の記者会見の際、三好社長が白々しく「これからは現地にとけ込む経営を」と言ったのに対し、労組の楊委員長は「今度、中国から撤退したら許さない」と宣言した。もともと中国のスワニーは自分たちの雇用を奪い、閉鎖の原因
をつくった忌まわしい工場であるが、争議解決時に、このような追及をきっちり資本にぶつけるというのは何という素晴らしい国際的な感覚なのだろう。
最近になって日本政府は、「日系企業のトラブル」と言い出したが、本気で対策をする意思も体制もない。例えば、3労組が各省庁に要請してまわったが「この種の進出企業の問題は、民間団体に任せてあり、日本政府としても、その所轄が、外務省か通産省か労働省かよくわからない。外国で起きたことは外国で解決して欲しい。大使館が窓口かもl」といったヒドイ態度であった。

日本の運動体も、外国の労組の応援団の立場だけでは無資任であり、「次はどこの労組が来日するか」という関心だけでは、主体性にとぼしい。為替差益や賃金・労働条件の差異をつくり出し、利用しつくしている日系資本を、アジア全体の「監視と糾弾のネットワーク」で包囲することによって、韓国・台湾・香港から撤退し、中国・タイ・スリランカ・バングラディシュ・ビルマなどに逃げ込むという「渡り鳥」に終止符をうたればならない。

「進出企業問題を考える会」による「企業の海外進出に対する規制指針」は、そのための労作と言える。われわれは、アジア全体の日系企業の動向を監視し、日本政府や財界にも具体的責任と制を絶えず迫っていく必要がある。そして、どこの国であれ、閉鎖や争議の一報に接したら、すぐに日本本社を攻めぬくことを怠ってはならない。